現在の本堂は万延元年(1860)第14世住職宏道の時代に完成したものです。

 文久元年(1861)、親鸞聖人600回大遠忌法要をお迎えする際、あまりにも本堂が傷んでおり、このままお迎えするには申し訳ないと、法要の記念事業として改築されることとなったようであります。その経緯について宏道が書き残した額が本堂に残されています。

 おりしも時代は日本が開国されて間もない幕末の頃であり、子孫にお念仏の道場を命がけで残してくださった先人の思いがうかがい知れます。

 本堂が建築されて3年後の文久3年(1863)、高杉晋作らによって奇兵隊が組織されますが、西光寺はその屯所となりました。(詳しくはこちらを御覧下さい。)

 本堂入口の柱は元の本堂のものを再利用したもので、その大きさから現在の本堂が以前のものよりも大きな建物に建て替えられたことがわかります。

 さて、西光寺の山号は「般若山はんにゃさん」であり、本堂正面には「般若閣」二品嘉彰親王書と書かれた山号額がかけてあります。これは小松宮彰仁親王(仁和寺宮嘉彰親王)が書かれたものを額にしたものであります。