
昭和8年建之、内田重成書。
昭和の初め頃まで、清末の蔵本地区(現在の清末西町辺り)の農家では養蚕業が盛んでした。養蚕業とは蚕を飼ってその繭から生糸(絹)を作る産業です。
蚕を飼うためにはエサとなる桑の葉が必要です。そのため当時清末には桑の木がたくさんあり、その実は子供たちのおやつになっていたそうです。
農家にとって養蚕は、生きていくための大切な仕事であり、蚕を「お蚕様」と呼ぶほど大切にしておりました。
しかし、生糸にするには繭を熱湯でゆでなければならず、中の蚕はこの時死んでしまうのです。
自分たちの生活する地域をうるおしてくれた蚕たちへ、感謝の意を込めて境内地に関係者によって建てられたのがこの蚕霊供養塔です。