
寺内寺すなわち境内に建てられた下寺を塔頭と言います。
長禄3年真鍋幸次郎が熊野に西光寺を建立した当時から、幸次郎の家臣が随従、それも数代にわたって随従して、正徳4年に至って塔頭を建立し、本願寺より木仏御免(木仏本尊の安置許可)が有り、西願寺の寺号を許されました。
西願寺は明治6年に廃寺となりました。その跡地に平成元年に鐘楼を建立した際、「塔頭西願寺跡」の石碑を建てました。
真宗寺院では塔頭を持った寺は甚だ少なく、防長二州では西光寺だけでした。
寺内寺すなわち境内に建てられた下寺を塔頭と言います。
長禄3年真鍋幸次郎が熊野に西光寺を建立した当時から、幸次郎の家臣が随従、それも数代にわたって随従して、正徳4年に至って塔頭を建立し、本願寺より木仏御免(木仏本尊の安置許可)が有り、西願寺の寺号を許されました。
西願寺は明治6年に廃寺となりました。その跡地に平成元年に鐘楼を建立した際、「塔頭西願寺跡」の石碑を建てました。
真宗寺院では塔頭を持った寺は甚だ少なく、防長二州では西光寺だけでした。